2016.12.18 Sunday 11:31

忘れ得ぬとき その2

《前掲から続く》

あれから四十八年たった今年の夏(注:これは2002年)、奈良・東大寺では大仏開眼一二五〇年ということで、様々な奉納の行事が行われ、中庭でコンサートができないかと依頼があった。咄嗟に僕は、奈良の先生のところにいたとき、一緒に東大寺に行った日のことを、あざやかに思い出していた。曇り日だったろうか。寺の中門をくぐった僕の前にあらわれた大きな大きな建物は、春日野の山々の影を落としているかのように暗く、そこには閑寂そのものの落ち着きの時間がただよっていた。そして大仏さまはおだやかな笑みをうかべている。おそらく、その瞬間、それまでに体験したことのない「いにしえの時間」へのあこがれが僕を襲ったのだろう。

もう一度、あのときに感じた「いにしえの時間」に対面したい。そう思った。

だが、コンサートの日程に合わせて、台風も近づいて来ていた。コンサートの前日は気温三十度で風も無く、蒸し暑い。東大寺の閉門後、搬入されたピアノを弾き、照明や音響のチェックをする。雨が近くまで来ているせいか、鍵盤が湿気を帯び、指がくっついて弾きにくい。翌日が思いやられた。
いよいよその日。控えの間の障子越しに見える梢も大きく揺れ、二十キロ先は豪雨だという。
「風が強過ぎて、ピアノの蓋があおられてはずれる危険性があります。蓋を取ってやりましょう」と声がかかる。開演の時刻がせまり、ステージとなる大仏殿に入る木戸口に佇んでいると、頬に雨粒が何粒か触れたように思った。夏の夕刻はまだ明るみが残っていて、何千人という人々の、野外特有のざわめきも感じとれる。が、初めの音が響くと、スーッと静まり返っていった。

ピアノに向かう僕の背後からは、時折一陣の風が渡ってくる。
風は、これよりももっと強くなるのか?嵐になるのだろうか。二十キロ先から雨はこちらに向かっているのだろうか。だが、前日とちょっと違う。風があるせいか湿気も飛ばされていて空気はさらりと乾き、鍵盤に指が吸いつくことなくなめらかにすすんでゆく。その時、僕はハッとした。
思い悩むのではなく無心になれ。そうだ、風に身をあずけ、風に乗って演奏するのだ。
風は東大寺・大仏さまの語りかけのように思えたのだろうか。その瞬間,台風のことは忘れていた。刻々と夕闇は深くなり、演奏が終わる頃に、金星がひとつ輝きをはなっている。
風も鎮まり、雨は降らなかったようだ。

風に身を任せて演奏する・・・あの一瞬のことを思い出していて、新しいアルバムにつけたタイトルが頭をよぎる。
―風のワルツー

奈良が生家だった先生も今は兵庫に住んでおられ、東大寺のコンサートを楽しみに待っていらした。けれども、体調がすぐれずどうしても行けなかった、という残念そうなお手紙が届く。
僕だけが奈良と先生に再会してきましたよ・・・そう伝えたかったけれど、代わりにこのCDをお送りしよう。ワルツは、どこか人を元気づけてくれる不思議なリズムを持っているから。

(KAKOさんが奈良のことを書いた原稿、いかがでしたか?
この日のコンサートでは、何故か東大寺の周りだけが晴れていて、演奏の間は一滴も降りませんでした。
ところが、終演後に機材の片付けがほぼ終わる頃、ザーッと降ってきたのです。奇跡のような一日でした。)

2016/12/18
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2016.12.16 Friday 16:02

忘れ得ぬとき

先日、未知の男性からKAKOさんに関することでメールが届きました。
「雑誌か新聞のインタビューだったかも分かりませんが、氏は子供の頃に音楽の先生から その道を歩むように勧められた・・・そして それは奈良の地であったとも聞きました・・・」
との書き出しで、来年1月15日の橿原文化会館でのコンサートをとても楽しみにしている、という内容でした。
そのお便りを何となく読んでいたのですが、ふと思い出したことがあるのです。
そう言えば・・・家庭画報という雑誌に、KAKOさんが奈良のことで寄稿した文章があったはず。

資料室の戸棚の古いファイルを探しましたら、、、ありました!



2002年11月号の家庭画報ですから、もう14年前なんですね。華やかなカラーページのズーッと後ろの方のモノクロページに「珠玉のエッセイ 忘れ得ぬ人、忘れ得ぬとき」という見出しがついたコーナーがありました。

懐かしく読み返しながら、ここのアトリエ通信にどうやって掲載しようかと思い、もしかしたら当時の原稿がパソコンに残っているかも知れないと又々探してみましたが、パソコンを新しくするたびにファイルを格納してゆくので、すぐには見当たらず・・・焦りながらも何とか見つけましたっ!

頁が長くなるので、2日に分けて掲載しますね。
では、どうぞ。

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奈良のピアノレッスン-------加古 隆

少年時代に、僕はフランスの作家ジュール・ベルヌの「地底旅行」や「海底2万里(マイル)」を夢中になって読んでいた。今でも登場人物の名前を、「リーデンブロック教授」「甥のアクセル」「案内人のハンス」という具合にスラスラ言えるくらいだし、もしも音楽家になっていなかったら、はるか遠い幻のような土地の探検家、というのも魅力的だと思ったりする。

小学校2年生の頃、町の公会堂で催される音楽コンクールに出場させようと、担任の先生は、クラスの子供たちを放課後や休日に集めては、器楽合奏をさせていた。若くて、たまたま音楽が専門の女の先生だったので、熱も入っていたのだ。そんなとき、タンバリンや木琴など下手な子がいたりしても、僕が代わりにやってみるとすぐ出来る。どの楽器をさわっても他の子よりもうまくやれる。そんな練習中の僕の様子を見ていて、先生なりに何か感じられたのだろう。両親にピアノを習わせるように勧めたのだった。
音楽家の家系でもなかったし、当時周りに男の子でピアノを習っている子などいなかったが、母は自分自身がピアノを習いたいと思ったことがあったらしく、また、父は「新らしもの好き」だったので、先生の勧めを喜んだ。
しかし、楽器が各家庭にある時代ではない。習うといっても、放課後に学校の講堂にあるピアノを使って、その先生が教えてくれるのである。生徒たちも帰ってしまった校舎。先生が用事などでちょっと別の部屋に行ってしまうと、広い講堂にぽつんと一人だけ取り残され、淋しいやら怖いやらで、逃げるように帰ってきたこともあったりした。
夏休みにレッスンを続けるということで、先生の生家のある奈良に連れて帰ってくれて、しばらくの間過ごすことになった。先生と母は年齢差も少なく、気が合っていたのだろう。それに今と違って、当時は先生と家庭というのは近しい感じがあった。中学の男の先生を思い出しても、こんなこともあった。ある日、学校から戻ると、「おー、おかえり」と、先生が玄関のたたきに座っている。そのうち、「ああ、お母さん、何か(食べるもの)ありませんか」とか言って、ご飯を食べてゆく。今では考えられないようなことでも、何の違和感も感じなかったし、思い出しても何となくなごやかな空気が漂う。

ピアノのレッスンのために先生が連れて行ってくれた奈良。先生の家の近くの小川では、ナマズも釣れたのだ。右手には虫捕り網、左手にバケツを提げて、ランニングシャツ1枚で田んぼのあぜ道をどこまでも歩いている少年の頃の僕。草のにおいと、澄んだ川の水の音、照りつける太陽。

僕は、曲を作る時、あるいは集中して心のエネルギーを高めていかなければならない時に、何故かこの風景をよく思い出す。大阪の町中で育った僕は、草花の名前を知らなければ、珍しい虫を捕まえたこともなかった。この夏の時間こそがなつかしく、強烈な印象の原風景となって僕を支えてくれている。

《続きは明後日》
2016/12/16
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2016.02.20 Saturday 20:52

チェ・ゲバラ 終わらぬ夢

17日(水)のNHK「スタジオパークからこんにちわ」は生放送でしたので、
観ていない方も多いと思います。加古カルが「パリは燃えているか」を映像をバックにして演奏したり、
2歳の頃のKAKOさんの写真が「可愛い!!」と大好評だったり、、、。
飼い犬だったのでしょうか、ツーショットの犬にえさを与えている珍しいカットでした。

さて、この「スタジオパーク・・・」はNHKで放送中の番組と関連する方々が多く出演しています。
KAKOさんが登場したのも、「新・映像の世紀」が今月と来月、あと2回放送があるからなのです。
明日が5回目の放送日。

NHKスペシャル 新・映像の世紀「第5集 若者の反乱が世界に連鎖した」
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=03885

皆さまも気がつかれたと思いますが、
私は、チェ・ゲバラの動いている映像を「スタジオパークからこんにちわ」の告知画面で初めて見ました。
学生時代にバイクで南米を旅していた彼が、革命に目覚めてゆく姿も垣間見ることが出来そうです。
他にも、明日は未公開フィルムもあるとか、、。

2016/02/20
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2015.12.18 Friday 18:48

お寺まいり、お墓まいり

年賀状も用意しながら、喪中のお葉書も届く12月。

そんな時、ある人のお墓写真が、ここ数ヶ月のカメラに収まっているはず、と思って探しました。

パリ・モンマルトル墓地にあるフランソワ・トリュフォー(François Truffaut)のお墓です。
1984年に亡くなったのですから、もう没後30年経ちます。
前日の雨で濡れていて、名前が読み取れるかどうかですが、、、



十字架の影も入れてみました。



ちょうど通りかかったフランス人の男性が、「生きていたときには皆がチヤホヤしていたはずなのに、今は誰も来ない、花も無い」と
つぶやいて去って行きました。
でも、、と私は思いました。木の葉がお墓に降り落ちていて、それに、黒い石が濡れたせいで空も木々も写している!
映画監督のお墓らしく、そこまで計算して作ったとは到底思えないのですが、何とも素敵で情緒のあるお墓ではありませんか。

トリュフォーの直ぐそばには、KAKOさんにとって忘れられないアンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet)が眠っています。
パリ・コンセルヴァトワールで、この人の門を叩くつもりで渡仏したのでしたが既に退官されていたので、オリヴィエ・メシアンに師事することになった、という経緯があるのです。
墓標を見ると、1974年12月。
KAKOさんは1973年にパリへ行き、ジョリヴェさんのお顔を見ながら言葉を交わした翌年に、彼は亡くなったということになるのだそうです。
お会いしたときは元気そうだったから、急死だったのか、とKAKOさんは驚きを隠せませんでした。
(今調べてみましたら、インフルエンザで急逝、と書かれています)

次はガラッと変わり、京都の紅葉を見たことがないというKAKOさんと、毎年のようにお会いしている京都人の方もご一緒に、晩秋の旅景色です。
一般には意外と知られていない場所「厭離庵」の他は有名なお寺ばかり。


永観堂の「見返り阿弥陀像」のポスターが壁に張られていました。





鴨川の柳と空の暮色。




年末までに、また書きたいと思います。

2015/12/17
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2014.09.28 Sunday 18:47

青函連絡船

一昨日は、秋晴れの札幌kitaraでのコンサートでした。リハーサルでのピアノも森の木霊が現れているような響きかたで、調律師さんも「やっぱり札幌の空気」は違うなあ、と言ってます。

いつもですと少しだけホールのある中島公園を散歩するのですが、午後7時開演の為リハーサルが終わった頃は日が暮れてしまいました。久しぶりの夜のコンサートなのです。
遠方からいらして、アンコールを聴けずに帰った方も居たようでした。

そのアンコール前に、KAKOさんは突然思い出したという感じで、初めて札幌に来た時のことを話し始めたのです。上野から電車に乗って青森へ着いたときに辺りは暗く、前の人の後ろをついて行って、そこから青函連絡船(せいかんれんらくせん)に乗り込み函館に着いた。それから又電車に乗って、、、札幌に着きましたが、随分遠いところだなあと思ったそうです。更に道路脇の雪が肩のあたりまで積もっていてビックリしたのですが、その事をよく覚えているのは、その日が何と1月31日、誕生日だったから、なのです。1977年の冬のこと。

アンコールが終わって楽屋へ戻った途端、「・・・と言うことは30歳だったんだ」と気付いたそうです。

ビルの立ち退きなどで今はない、札幌・南三条の「ビードロ」での、若い日本人だけのジャズメン達のライヴでした。

青函連絡船を知らない人もいらっしゃるでしょう。
1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)の間、青森県の青森駅と北海道の函館駅とを結んでいましたが、青函トンネル開通に伴って運航が終了しました。別れのドラが鳴り、岸壁に立つ人とテープを繋ぐ光景もあったようですから、ドラマチック!

10月5日の大阪・いずみホールでも、意外なお話しが飛び出すといいですね、KAKOさん!

2014/09/28
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2014.09.15 Monday 15:46

カッコいい江戸時代

先週水曜日10日の朝日新聞を片付けようと、ふと文化の広告欄を見ると、ボストン美術館名品展として、上野の森美術館に「北斎」作品が来日!と書かれていてビックリ。11月9日まで開催だそうです。



偉才、極彩、北斎、というコピー文もなかなか面白い。
ところで、KAKOさんのコンサートのタイトルは「クレーと北斎を弾く」。
前にもアップしましたがこんなチラシです。



「クレー」は元々12枚の絵からインスピレーションを得た曲集ですが、今回はそこから5枚の絵を選んで「色と形のポエム」という副題をつけ、5曲のエッセンスを汲み上げてこのコンサート用に改作したんですよ!

一方「北斎」のほうで演奏するのは一枚一枚の絵に相対した曲だけではなくて、江戸時代に対するKAKOさんの憧れ色が強いです。富嶽三十六景にある有名な`凱風快晴'の「静の芸術」 と対極的に、`神奈川沖浪裏'のような「動の芸術」に感じた音楽がどのように現われるか?
新聞に掲載されているのもこの二つの図ですね。

「葛飾北斎〜江戸の風景」の出だしは`凱風快晴'のおおらかな富士の姿を想わせ、後半部で波頭のような激しい奏法が繰り広げられるのは、まさしく「おきのなみうら」です。その間に、当時の庶民に人気があった遊楽とか旅の姿、大川に掛かった橋や行き交う小舟などの情景が、クレーとは違ったカッコ良さで奏でられます。
ウ〜ン、江戸時代の人はカッコよかった、とKAKOさん御自身も感じているんですね、きっと。

東京にいらっしゃれば、10月11日という一日で、コンサートと美術館、両方楽しめますね♪

今週末は山形テルサホールに行きますし、上記のコンサートは、東京サントリーホール以外、札幌Kitara小ホール、大阪いずみホール、名古屋しらかわホールで開催されます。

2014/09/15
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2014.03.22 Saturday 21:12

百年前の京都

2月の欧州ツアーも過去形になりつつありますが、パリの公演に来て下さったフランス人の女性から、手土産を頂いていたのでした。わざわざ滞在先のホテルまで届けて下さり、とっても綺麗な書き文字の、素敵なカードも入っていました。

帰国してから、そのお土産を「使う」段になり、ようやく感想を書き送ることになりました。

KAKOさんから、
フランス語の文章は書くから、何か便箋のようなものを用意するように、と言われていたのです。
せっかくなので、日本的な雰囲気の便箋とかカードとか、と思って探したのですが、旅行先で購入した観光色の強いPOST CARDが多いので、随分かたよっている自分の抽斗に驚いてしまいました。

その時に目についたのが、数年前に京都のかたから頂いた、その名も「百年前の京都」という、当時の写真を絵葉書セットにしたものです。
その中から、和服を召して親しげに食事をしている雰囲気のカードを一枚選びました。これならば、かのフランス女性も喜ぶに違いありません。

2014032221100000.jpg

掛け軸といい懐かしいお膳などのお道具類といい、昔が偲ばれる写真ですね。
他にも、人力車に乗った外国人旅行者の一行とか、鴨川の四条大橋を馬車も人も往来している様子とか・・・
皆、当然ですが和装姿です。

これは京都・清水三年坂美術館製の絵葉書セットでした。

2014/03/22
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2013.07.28 Sunday 16:39

カフェにて

やっぱり雨で折れてしまったアナベル。

直径20センチもの花を支えるには、細く長い茎ですね。

先日、軽井沢の南西のほうにある塩沢湖の近く、有島武郎の別荘が移築されて「一房の葡萄」というカフェになっている所に行きました。
山百合が咲いて、奥の方に玄関の明かりがかすかに見えています。左側は車道。



内部には縦型ピアノや、軽井沢にゆかりのあった作家達の本も置いてあり、入り口の看板にはライブラリーカフェと書かれています。

「一房の葡萄」は有島武郎の短編の題で、主人公の少年が学友のクレヨンを盗んでしまったことが発端となっています。
そして読み進むうちに、少年の心が叱らなかった女教師への畏敬というか憧れに移っていき、終わり方が何とも印象に残ります。

「・・・そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、
葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、
細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。
真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。
それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。
もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。
秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。」

この短編には白と紫と銀色が出てきますが、色の組み合わせ自体にも、通っていた学校に都会的なにおいを感じさせると思いました。

確か以前、KAKOさんが好きだった小説に福永武彦のものがあったと記憶しています。
その人の本も、置いてありました。
藤沢周平を知ったときには、ほとんど読破したようなことも言っていましたが、福永武彦と藤沢周平は、おそらく好きになった時代がかなり実年齢と関係しているようにも思います。もちろん藤沢・・の本は、「一房の葡萄」にはありません。

2013/07/28
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2013.06.11 Tuesday 20:04

青い蓮

秋の10月5日のコンサートは、京都の青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)というお寺。

門跡寺院とは、門主(もんす=住職)が、皇室や摂関家が出家して受け継がれてきた特定の位の高い寺を称し、天台宗三門跡は、青蓮院、三千院、妙法院となっています。「青い蓮」は青色の蓮華、つまり仏・菩薩(ぼさつ)の目にたとえたり、慈悲という仏教の教えの根幹を形容する言葉、とか。

門前の大クスノキ



現在の門主(旧東伏見宮家の東伏見慈晃さま)と初めてお目にかかった際に伺ったお話しを、少し書きます。
門主の父、名誉門主は現在102歳を超えられたと思いますが、戦前、宮家の一員であったころ、ピアノを熱心に弾いていらしたそうです。皇族は必ず何か楽器をたしなむという掟のようなものがあるそうです。戦前はN響と日比谷公会堂でハイドンのピアノ協奏曲を披露したこともある腕前。その後、仏門に入ってからも弾き続け、戦後の窮乏生活の中でも手放さず愛蔵していたそうです。しかし25年ほど前からは弾くこともなく、買ってから70年以上経ち傷みは激しく、単に思い出のものとなっていたところ・・・。

このピアノは、1932年製造のドイツのBLUTHNER (ブリュートナー)。80年は経っていますね。

大阪にブリュートナーの修復できる会社があることがわかり、3年ほど前に1年がかりで完全修復したのです。門主は、父である名誉門主が苦楽を共にしてきたピアノに、新たな響きを取り戻せて、父へのいい孝行が出来たと、嬉しそうでした。

さて、縁とは不思議。
何故KAKOさんがここでコンサートをすることになったのか。

まず、このピアノを修復したのは、KAKOさんの指定調律師でもあるB-tech JAPANの菊池和明さんだったのです。彼は、若き頃にウイーンのベーゼンドルファー社で、実際にピアノを作ったこともある凄い技術者。
今年の40thアニヴァーサリーコンサートに、京都や奈良のお寺を候補に入れたいと考えていたKAKOさんの思いと、京都在住の方のお力添えで、現在の門主さまとお会いすることになり・・・。そうして、由緒あるピアノを試弾したのでした。
お寺の中にピアノ庫もあり、湿度調整もされていました。なるほど、古い型のためペダルは2本しかありません。ところが、弾いてみると素晴らしい音、何と豊かな響きを持っていることか。KAKOさんはすっかり気に入りました。
勿論、お寺そのものも、端正なお庭も、溜息が出るほど奥ゆかしいです。

早速コンサート制作会社のプロデューサーに電話をかけ、秋の日程が決まって行ったのでした。

2013/06/11
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2013.04.15 Monday 18:01

オイラーの日

何気なくgoogleのロゴを見ていて、ふっと気になりました。



今日はこの人の誕生日。
レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler, 1707年4月15日 - 1783年9月18日)。
生誕306周年を記念したロゴだったのです。
数学者であり、物理学者あり、天文学者(天体物理学者)であり・・・という天才。

小川洋子原作の映画化された「博士の愛した数式」。
KAKOさんが音楽を担当したので、私もこの時「オイラーの公式(等式)」なるものを知りました。

登場人物の博士が、
胸ポケットから取り出した鉛筆で書いたメモは「eiπ+1=0」。
でも普通は「eiπ=-1」と書かれる式なので、それを、=0という書き換えをして、
博士が未亡人に伝えたかった思いがここに表れていた・・・のかな。

そこのところを深読みをしないとならない映画でした。

ちょうど今頃の季節、博士と家政婦が、春ののどかな桜の下を散歩していき、
野草を摘むシーンを思い出します。
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