2016.12.16 Friday 16:02

忘れ得ぬとき

先日、未知の男性からKAKOさんに関することでメールが届きました。
「雑誌か新聞のインタビューだったかも分かりませんが、氏は子供の頃に音楽の先生から その道を歩むように勧められた・・・そして それは奈良の地であったとも聞きました・・・」
との書き出しで、来年1月15日の橿原文化会館でのコンサートをとても楽しみにしている、という内容でした。
そのお便りを何となく読んでいたのですが、ふと思い出したことがあるのです。
そう言えば・・・家庭画報という雑誌に、KAKOさんが奈良のことで寄稿した文章があったはず。

資料室の戸棚の古いファイルを探しましたら、、、ありました!



2002年11月号の家庭画報ですから、もう14年前なんですね。華やかなカラーページのズーッと後ろの方のモノクロページに「珠玉のエッセイ 忘れ得ぬ人、忘れ得ぬとき」という見出しがついたコーナーがありました。

懐かしく読み返しながら、ここのアトリエ通信にどうやって掲載しようかと思い、もしかしたら当時の原稿がパソコンに残っているかも知れないと又々探してみましたが、パソコンを新しくするたびにファイルを格納してゆくので、すぐには見当たらず・・・焦りながらも何とか見つけましたっ!

頁が長くなるので、2日に分けて掲載しますね。
では、どうぞ。

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奈良のピアノレッスン-------加古 隆

少年時代に、僕はフランスの作家ジュール・ベルヌの「地底旅行」や「海底2万里(マイル)」を夢中になって読んでいた。今でも登場人物の名前を、「リーデンブロック教授」「甥のアクセル」「案内人のハンス」という具合にスラスラ言えるくらいだし、もしも音楽家になっていなかったら、はるか遠い幻のような土地の探検家、というのも魅力的だと思ったりする。

小学校2年生の頃、町の公会堂で催される音楽コンクールに出場させようと、担任の先生は、クラスの子供たちを放課後や休日に集めては、器楽合奏をさせていた。若くて、たまたま音楽が専門の女の先生だったので、熱も入っていたのだ。そんなとき、タンバリンや木琴など下手な子がいたりしても、僕が代わりにやってみるとすぐ出来る。どの楽器をさわっても他の子よりもうまくやれる。そんな練習中の僕の様子を見ていて、先生なりに何か感じられたのだろう。両親にピアノを習わせるように勧めたのだった。
音楽家の家系でもなかったし、当時周りに男の子でピアノを習っている子などいなかったが、母は自分自身がピアノを習いたいと思ったことがあったらしく、また、父は「新らしもの好き」だったので、先生の勧めを喜んだ。
しかし、楽器が各家庭にある時代ではない。習うといっても、放課後に学校の講堂にあるピアノを使って、その先生が教えてくれるのである。生徒たちも帰ってしまった校舎。先生が用事などでちょっと別の部屋に行ってしまうと、広い講堂にぽつんと一人だけ取り残され、淋しいやら怖いやらで、逃げるように帰ってきたこともあったりした。
夏休みにレッスンを続けるということで、先生の生家のある奈良に連れて帰ってくれて、しばらくの間過ごすことになった。先生と母は年齢差も少なく、気が合っていたのだろう。それに今と違って、当時は先生と家庭というのは近しい感じがあった。中学の男の先生を思い出しても、こんなこともあった。ある日、学校から戻ると、「おー、おかえり」と、先生が玄関のたたきに座っている。そのうち、「ああ、お母さん、何か(食べるもの)ありませんか」とか言って、ご飯を食べてゆく。今では考えられないようなことでも、何の違和感も感じなかったし、思い出しても何となくなごやかな空気が漂う。

ピアノのレッスンのために先生が連れて行ってくれた奈良。先生の家の近くの小川では、ナマズも釣れたのだ。右手には虫捕り網、左手にバケツを提げて、ランニングシャツ1枚で田んぼのあぜ道をどこまでも歩いている少年の頃の僕。草のにおいと、澄んだ川の水の音、照りつける太陽。

僕は、曲を作る時、あるいは集中して心のエネルギーを高めていかなければならない時に、何故かこの風景をよく思い出す。大阪の町中で育った僕は、草花の名前を知らなければ、珍しい虫を捕まえたこともなかった。この夏の時間こそがなつかしく、強烈な印象の原風景となって僕を支えてくれている。

《続きは明後日》
2016/12/16
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