2017.01.28 Saturday 16:33

2月(如月)に向かって

冬の定点観測さんから先日届いた、今どきの軽井沢はこんな感じ。



このお庭に隣人のかたが取り付けてくださったという餌台の周りには、小鳥が来ています。

さて、今月は奈良県と兵庫県のコンサートがありましたが、昨年からプログラムに組んでいた第2部の、クァルテットで演奏された「映像の世紀」「新・映像の世紀」の組曲は、ここでひと休み、です。
前回のブログに書いたのですが、個人的にも大好きな組曲なので残念に思い始めていたところ、何と、同じ内容でアルバム(CD)化されることになりました。
録音は4月後半です。
と言うことは、おそらく年内に発売でしょう。

21日(土)の伊丹・アイフォニックでのリハーサル風景。



KAKOさんが鍵盤に指を置いて調弦の場面ですが、ホールの客席側も少し写っています。
椅子を見ただけで、「サロン音楽ホール」のような雰囲気ですね。



そうなのです!
約500席はかなりの急勾配で客席とステージはとても近く、音もクリアに響きわたり、奏者にもお客様にも素晴らしい空間となっています。
ステージの奥がカーブになっているところも、優しく親しみが持てました。

ふと天井を見上げて、あまりに可愛らしいので、パチリ!
お花のかたちのシャンデリア。



関西在住の旧知の作家がいらしていたとのことで、KAKOさんに届いた感想にこんなひと言が書かれていたそうです。
「以前にも増して思索の純度が増した・・・音楽でしか現せない黙示の深まり・・・」
さすがに、文学者の言葉ですね。
アンコールの「黄昏のワルツ」で、魂がどこかに連れ去られたようで立ち上がれなかった・・・とも。

しばらくコンサートの予定はないのですが、来月からは夏以降の企画に合わせて準備が始まります。

2017/01/28

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2017.01.15 Sunday 21:44

耳を澄ませば

今日は奈良県橿原文化会館で、2017年初のコンサートでした。
朝9時台に雪が舞う京都から近鉄で橿原に向かうのですが、前日からの大雪で近郊の電車はかなり遅れている様子。心配なので早めの電車に乗車変更して出掛けましたが、大和西大寺駅辺りから積雪は殆どありません。拍子抜けした感じ。
でも会場にいらっしゃるお客様にとっては、晴れていて良かったです。

クァルテットの「組曲 新・映像の世紀」が第2部に組まれたプログラム。4人がステージに登場すると客席に期待感が漂い、拍手の場面ごとに盛り上がってきます。いつ見ても美しい佇まいで凛々しい4人!
昨年のツアーと同じ曲目ですし、私は何度も現場で体験してきているのに、これが毎回ワクワクして聴き惚れるんです。

20年前にNHKで放送され様々な編成や曲順でコンサートに組み込んできた「映像の世紀」ですが、 「パリは燃えているか」を軸に、3パート構成にしたこのクァルテットバージョンは個人的にかなり好きです。「神のパッサカリア」や「愛と憎しみの果てに」などの新しい曲の存在感もやはり効を奏しているのではないかと、改めて今日も思いました。

さて、橿原文化会館にはだいぶ昔来ているはず。煉瓦色の建物に記憶がありました。会館のスタッフのかたに調べて頂いたら、何と24年前の1993年とのこと。当時の年間事業パンフレットのモノクロコピーをくださったので、ここに掲載します。



中央に小さくKAKOさんの演奏写真が有りますが、90年代によく使用した写真で、懐かしかったです。アトリエに戻り93年の資料を調べれば、チラシが出てくるかも知れません。

ところで、この会館のご担当者さんがリハーサル中のKAKOさんへご挨拶したいということでお待ちしていたら、両隣に二人の男性が付き添った形で現れました。どうも杖を持っているようだし、視線が正面を向いていらっしゃらないのでどうしたのかと思っていましたら。
何と、この人は全盲だったのです。
(その事に気付かず、私は名刺を渡そうとしても受け取ってもらえず焦ったりして…)
目は見えないけれど、ずっとKAKOさんの音楽のファンでもあって、いつかコンサートを実現したいと考えていらしたとか。
県の職員だと思うのですが、ご本人も採用する側も素晴らしいですね。
その事に感激して帰路につきました。

続いて、21日(土)は伊丹アイフォニックのコンサートです。

2017/01/15
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2016.12.18 Sunday 11:31

忘れ得ぬとき その2

《前掲から続く》

あれから四十八年たった今年の夏(注:これは2002年)、奈良・東大寺では大仏開眼一二五〇年ということで、様々な奉納の行事が行われ、中庭でコンサートができないかと依頼があった。咄嗟に僕は、奈良の先生のところにいたとき、一緒に東大寺に行った日のことを、あざやかに思い出していた。曇り日だったろうか。寺の中門をくぐった僕の前にあらわれた大きな大きな建物は、春日野の山々の影を落としているかのように暗く、そこには閑寂そのものの落ち着きの時間がただよっていた。そして大仏さまはおだやかな笑みをうかべている。おそらく、その瞬間、それまでに体験したことのない「いにしえの時間」へのあこがれが僕を襲ったのだろう。

もう一度、あのときに感じた「いにしえの時間」に対面したい。そう思った。

だが、コンサートの日程に合わせて、台風も近づいて来ていた。コンサートの前日は気温三十度で風も無く、蒸し暑い。東大寺の閉門後、搬入されたピアノを弾き、照明や音響のチェックをする。雨が近くまで来ているせいか、鍵盤が湿気を帯び、指がくっついて弾きにくい。翌日が思いやられた。
いよいよその日。控えの間の障子越しに見える梢も大きく揺れ、二十キロ先は豪雨だという。
「風が強過ぎて、ピアノの蓋があおられてはずれる危険性があります。蓋を取ってやりましょう」と声がかかる。開演の時刻がせまり、ステージとなる大仏殿に入る木戸口に佇んでいると、頬に雨粒が何粒か触れたように思った。夏の夕刻はまだ明るみが残っていて、何千人という人々の、野外特有のざわめきも感じとれる。が、初めの音が響くと、スーッと静まり返っていった。

ピアノに向かう僕の背後からは、時折一陣の風が渡ってくる。
風は、これよりももっと強くなるのか?嵐になるのだろうか。二十キロ先から雨はこちらに向かっているのだろうか。だが、前日とちょっと違う。風があるせいか湿気も飛ばされていて空気はさらりと乾き、鍵盤に指が吸いつくことなくなめらかにすすんでゆく。その時、僕はハッとした。
思い悩むのではなく無心になれ。そうだ、風に身をあずけ、風に乗って演奏するのだ。
風は東大寺・大仏さまの語りかけのように思えたのだろうか。その瞬間,台風のことは忘れていた。刻々と夕闇は深くなり、演奏が終わる頃に、金星がひとつ輝きをはなっている。
風も鎮まり、雨は降らなかったようだ。

風に身を任せて演奏する・・・あの一瞬のことを思い出していて、新しいアルバムにつけたタイトルが頭をよぎる。
―風のワルツー

奈良が生家だった先生も今は兵庫に住んでおられ、東大寺のコンサートを楽しみに待っていらした。けれども、体調がすぐれずどうしても行けなかった、という残念そうなお手紙が届く。
僕だけが奈良と先生に再会してきましたよ・・・そう伝えたかったけれど、代わりにこのCDをお送りしよう。ワルツは、どこか人を元気づけてくれる不思議なリズムを持っているから。

(KAKOさんが奈良のことを書いた原稿、いかがでしたか?
この日のコンサートでは、何故か東大寺の周りだけが晴れていて、演奏の間は一滴も降りませんでした。
ところが、終演後に機材の片付けがほぼ終わる頃、ザーッと降ってきたのです。奇跡のような一日でした。)

2016/12/18
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2016.12.16 Friday 16:02

忘れ得ぬとき

先日、未知の男性からKAKOさんに関することでメールが届きました。
「雑誌か新聞のインタビューだったかも分かりませんが、氏は子供の頃に音楽の先生から その道を歩むように勧められた・・・そして それは奈良の地であったとも聞きました・・・」
との書き出しで、来年1月15日の橿原文化会館でのコンサートをとても楽しみにしている、という内容でした。
そのお便りを何となく読んでいたのですが、ふと思い出したことがあるのです。
そう言えば・・・家庭画報という雑誌に、KAKOさんが奈良のことで寄稿した文章があったはず。

資料室の戸棚の古いファイルを探しましたら、、、ありました!



2002年11月号の家庭画報ですから、もう14年前なんですね。華やかなカラーページのズーッと後ろの方のモノクロページに「珠玉のエッセイ 忘れ得ぬ人、忘れ得ぬとき」という見出しがついたコーナーがありました。

懐かしく読み返しながら、ここのアトリエ通信にどうやって掲載しようかと思い、もしかしたら当時の原稿がパソコンに残っているかも知れないと又々探してみましたが、パソコンを新しくするたびにファイルを格納してゆくので、すぐには見当たらず・・・焦りながらも何とか見つけましたっ!

頁が長くなるので、2日に分けて掲載しますね。
では、どうぞ。

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奈良のピアノレッスン-------加古 隆

少年時代に、僕はフランスの作家ジュール・ベルヌの「地底旅行」や「海底2万里(マイル)」を夢中になって読んでいた。今でも登場人物の名前を、「リーデンブロック教授」「甥のアクセル」「案内人のハンス」という具合にスラスラ言えるくらいだし、もしも音楽家になっていなかったら、はるか遠い幻のような土地の探検家、というのも魅力的だと思ったりする。

小学校2年生の頃、町の公会堂で催される音楽コンクールに出場させようと、担任の先生は、クラスの子供たちを放課後や休日に集めては、器楽合奏をさせていた。若くて、たまたま音楽が専門の女の先生だったので、熱も入っていたのだ。そんなとき、タンバリンや木琴など下手な子がいたりしても、僕が代わりにやってみるとすぐ出来る。どの楽器をさわっても他の子よりもうまくやれる。そんな練習中の僕の様子を見ていて、先生なりに何か感じられたのだろう。両親にピアノを習わせるように勧めたのだった。
音楽家の家系でもなかったし、当時周りに男の子でピアノを習っている子などいなかったが、母は自分自身がピアノを習いたいと思ったことがあったらしく、また、父は「新らしもの好き」だったので、先生の勧めを喜んだ。
しかし、楽器が各家庭にある時代ではない。習うといっても、放課後に学校の講堂にあるピアノを使って、その先生が教えてくれるのである。生徒たちも帰ってしまった校舎。先生が用事などでちょっと別の部屋に行ってしまうと、広い講堂にぽつんと一人だけ取り残され、淋しいやら怖いやらで、逃げるように帰ってきたこともあったりした。
夏休みにレッスンを続けるということで、先生の生家のある奈良に連れて帰ってくれて、しばらくの間過ごすことになった。先生と母は年齢差も少なく、気が合っていたのだろう。それに今と違って、当時は先生と家庭というのは近しい感じがあった。中学の男の先生を思い出しても、こんなこともあった。ある日、学校から戻ると、「おー、おかえり」と、先生が玄関のたたきに座っている。そのうち、「ああ、お母さん、何か(食べるもの)ありませんか」とか言って、ご飯を食べてゆく。今では考えられないようなことでも、何の違和感も感じなかったし、思い出しても何となくなごやかな空気が漂う。

ピアノのレッスンのために先生が連れて行ってくれた奈良。先生の家の近くの小川では、ナマズも釣れたのだ。右手には虫捕り網、左手にバケツを提げて、ランニングシャツ1枚で田んぼのあぜ道をどこまでも歩いている少年の頃の僕。草のにおいと、澄んだ川の水の音、照りつける太陽。

僕は、曲を作る時、あるいは集中して心のエネルギーを高めていかなければならない時に、何故かこの風景をよく思い出す。大阪の町中で育った僕は、草花の名前を知らなければ、珍しい虫を捕まえたこともなかった。この夏の時間こそがなつかしく、強烈な印象の原風景となって僕を支えてくれている。

《続きは明後日》
2016/12/16
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2016.11.28 Monday 12:46

鳥取県にて

一昨日、鳥取空港に行く上空でKAKOさんが座席から撮影した富士山です。



今年最後のコンサート、東伯郡琴浦町・カウベルホールでの1日が昨日無事に終わりました。三重県や愛知県、東京近郊から駆けつけてくださったファンの方々のお顔もあり、KAKOさんへの熱意や愛が伝わります。

ヴァイオリンの相川麻里子さんは、この地の「白バラ牛乳」がお目当てだったとかで、リハーサル前に大山乳業の工場まで行っていたそうです。この牛乳しか飲まない人もいる程の人気だとか…。ちなみに大山の読み仮名は「おおやま」ではなく「だいせん」です。おおやまにゅうぎょう、と声を出したのは私でした。(苦笑)

そうですよね、忘れていましたが鳥取県といえば砂丘と大山!?

打ち上げの席では、お店のメニューに「牛乳ぶっかけ丼」的な名前のものがあり、牛乳大好きのヴィオラの南かおりさんだけが挑戦しました。
ちょっと出汁を隠し味にした、牛乳とは思えない味わいだったようです。「ちっちゃなレストラン」という打ち上げの場所は、10数年前まで「東伯ビール」の真鍮色(?)の発酵タンクも置いていた場所だったので、名前と逆で広〜いフロアです。KAKOさんも私も来たことがあり、懐かしく思いました。地ビールの先駆け的な存在でしたが、今はビールもソーセージなども辞めています。復活しないのかな?

夜は予約のみ営業でランチ中心だそうですが、とっても美味しく、特筆したいのは5ー6センチ程の大きさで片面海苔の「おむすび」でした。地元のこだわりお米と塩あんばいが微妙でKAKOさんも大絶賛!私もお酒そっちのけで3個もパクパク。
牛乳とお薦め映画の話で盛り上がった打ち上げ会でした。

勿論食べることだけではなかったですよ。
皆さんが真剣な面持ちで語ったのは、《ステージでの姿の美しさ》でした。

KAKOさんがピアノ椅子から離れて立って拍手を受けるとき。
相川さんと南さんが楽器をたずさえて立つ姿は息を飲むほど。
4人が揃ったステージは、日本語にある「端正」そのもの。

いつも私自身が感じていることを直接耳にして、本当にうれしかったです。

植木昭雄さんのチェロに惚れた男性は、食事の席上で何度もチェリストのように弓さばきのジェスチャーたっぷりに感動ぶりをあらわしていて。

ちなみに相川さんと植木さんは都合が合わず打ち上げには不参加でしたので、賞賛されたことを知りません。あとでお伝えするつもり。

実は、KAKOさんがフランスから帰国した1970年代の後半に、日本でコンサートを主催してくださった人、応援してくださった人が鳥取市に居ました。

ピアノ・ソロもTOKもこの方が開催したり尽力してくださいました。今回のカウベルホールに至る道のりはこの方の存在があったからこそ、なのです
月日は流れて鳥取公演が無くなると、大阪や神戸に足を運び、KAKOさんの音楽の軌跡をいつも遠くから見守っているよ、と。
そういう意味でも、懐かしい日本海に行って来たわけです。

昨日のホールでは記録用のステージ写真を撮っていたかと思いますので、届いたら掲載します。

2016/11/28
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